先日銀座の画廊に絵を観に行ってきました。
「銀座の画廊」と言ってしまうと何だか敷居が高くなりますが、去年まで神保町でやっていたものです。
行ったのは、丸木位里、俊夫妻の【原爆の図】を観るためです。
私は子供の頃、丸木俊さんの絵本がダイスキでした。ソビエトにいらしていた影響でしょうか、その色使いが非常にロシア的です。原色を対比して使う、その際立った、けれど線が柔らかいところがスキでした。
その中でも特にスキなのが、丸木俊さんの描く手の指。
まるで仏像のようにしなやかで、まるで生活感がないのです。

ちょっと手指の様子がわかりにくいかな。。
今回は【原爆の図】の原寸レプリカが展示されるとのことで、楽しみにしていました。
【原爆の図】は埼玉県の東松山にある丸木美術館に常設展示されています。
全部で14部あり、その迫力は観る者を圧倒します。
その第1部の『幽霊』が銀座に「降臨」したのです。
いつもは美術館の薄暗い照明の中で、少し遠目にみられるものなのですが、今回はレプリカということですぐ目の前で見られました。
近くで見ると、さまざまな発見があります。
『幽霊』の中にもたくさんの手が描かれていました。
絵の中の人々の身体や顔は焼け爛れてとても無惨な姿なのに、手指だけが綺麗に描かれていました。そのことに気がついてとても驚きました。
「なんで手だけが綺麗に描かれているのだろう」
そんなふうに絵をためつすがめつ見ていました。画廊の中は私一人だけでしたし、なかなかそんな機会はないので。
すると、入り口に誰かがやってきました。ふと見ると丸木俊さんの姪のひさ子さんが‼️
いつも最終日にいらっしゃるだけだと思っていましたので、まさかお会いできるとは‼️
早速、手のことを話しました。するとこんなことを教えてくれました。
1954年から60年代にかけて、【原爆の図】を携えて世界中を回っていた頃、俊さんが言っていたそうです。
「原爆投下後の人々の顔や身体は悲惨な状態だったけれど、手だけは綺麗だった」
その話を聞いてびっくりでした。手を綺麗に描くことで、何かの主張が込められているのかとおもっていましたが、そうではなかったんです。
そのことが余計に、原子爆弾の悲惨さを物語っている気がしました。
改めてすごい絵だなと思います。そこに込められているエネルギーが尋常ではないのです。レプリカですら、です。
今年の秋から丸木美術館は改修工事に入るそうです。
ひさ子さん曰く、「位里先生(俊さんの夫です)がとにかく建て増しが好きで、どんどん作ってしまったモノだから、継ぎ目からの雨漏りとかひどくって笑」とのこと。
その前に一度現物を観に行こうかなと思います。
もしかしたら改修中には、全国で展覧会とかやったりするのかもしれません。
多くの人の目に触れるとイイなと思います。
ひさ子さんとは、30年ほど前に私が俊さんに「絵を描いてほしい」とお手紙を書いたのがご縁の始まりです。
今思えば、そんな大御所の画家さんに一介の主婦がよくもまあ「絵を描いてくれ」なんて言ったモノです。(確か、仏像を描いて下さいって頼んだ記憶があります。)
でも思い切ってお手紙を書いたことで、生前の丸木俊さんともお会いし、お話もできましたし、ひさ子さんとは毎年年賀状のやり取りをするご縁に繋がりました。
あの時思い切ってお手紙を書いて本当に良かった、とココロから思います。
そして、今でも俊さんの絵は魅力的で、私を捉えて離さない。。いえ、ますますその魅力にハマってしまっています。